足尾銅山深沢社宅










江戸時代の深沢は間藤村の農耕地であったが、明治10年(1877)に古河市兵衛が足尾銅山を経営するに至って発展していった。翌年には日光との物資運送を容易にするため、子内 間運の運送路として開発され人馬の往来で賑うようになった。同17年大冨鉱(直利)の発見で各地から足尾に坑夫が集まるようになり、深沢には坑夫の信仰する八聖山金山神社が祀られ、住家も建つようになった。しかし、この運送路も同24年に開設された馬車鉄道の発展により、全く使われなくなり、奥地は鉱泥の堆積場に変った。その頃、銅山工事の請負師などの住家が1213戸あったが、同35年に大火が起り全焼したので、その跡に銅山住宅が建てられ活況を取り戻した。昭和14年(1939)には新社宅3棟が増設され、同39年には84世帯353人も住んでいたが、以後、銅山の経営合理化などに
より次第に人口は減少し、平成8年(1996)末に遂に無人の社宅となった。


村影 弥太郎の集落紀行HPより引用