中城高原ホテル




中城城跡は、1955年(昭和30年)に琉球政府文化財保護委員会により重要文化財として史跡・名勝の指定を受けたが、その後、中城城跡の管理、運営を行っていた中城公園組合(以下、組合)が、観光客誘致のためのホテル建設の計画を立てた。このホテル計画が「中城高原ホテル」建設の計画である。当初の計画では、城の本丸に建設が予定されていたが、これにより前述の文化財指定が取り消される可能性もあった。この問題に対し、組合側はホテル建設による文化財指定解除の申請も辞さない態度を取り、一方の委員会側も「文化財毀損における刑罰」と組合側との対立の姿勢を見せた。この問題は政治問題にまで発展し、県民の世論を沸かせたが、最終的にはホテル建設を本丸から城壁外の高台に建設場所を変更することで決着した。その後、沖縄海洋博の開催が決定した1970年代前半に建設が開始され、同博覧会開催の1975年(昭和50年)720日開業を予定していたが、博覧会の開催直前に建設をしていた企業が倒産し、また、沖縄本土復帰に伴い、アクセス道路が文化財保護区域に指定されたことから、建設途中のまま工事が中断し30年以上放置されたままになり、廃墟と化している。

 

WikipediaHPより引用






つづく